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鹿児島・香港交流記念日

かごしま香港クラブでは鹿児島・香港の交流記念日を4月25日としています。 

1865年4月25日 薩摩藩英国留学生一行19人が香港上陸

薩摩藩の英国留学生は1865年4月17日(新暦。以下も新暦日付け)に串木野市の羽島港を出港。グラバー商会所有の小型蒸気船「オースタライエン号」で,最初の寄港地香港を目指しました。

4月20日には意を決して断髪し「西洋髪」になっています。香港に到着したのは翌21日の午後7時頃。小雨模様でしたが,一行は香港の夜景の美しさに心を奪われました。町田久成は日記に「陸地はあたかも蛍火」と記し,松村淳藏は帰国後に「あたかも我が故郷の六月燈籠祭の盛観に等し」と語っています。

船中から見たこの「蛍火」はガス灯でした。香港政庁の年鑑にはホンコン&チャイナ・ガス社(Hong Kong and China Gas Co., Ltd.)が前年の1864年12月に主要な通りと建物にガス供給を開始し,500基の街灯を設置したと記されています。

さて,留学生一行19人は香港の港に到着してから3日もの間,船内に留まらなければなりませんでした。上陸のために洋服や帽子,靴を揃えなければならなかったからです。4月25日にそれらがやっと揃い,ようやく上陸できました。午後2時頃から約4時間,市中を散策しています。

翌日も午前は市中散策,午後は造船ドックを訪ねています。4月29日にシンガポールに向けて香港を出港するまでの4日間は連日上陸して見聞を広めたことが畠山義成の日記などに記されています。

この4月25日が薩摩人が香港を訪れた最初の記録であろうと思われます。そればかりか,若しかすると「日本人」の訪問記録としても最初であるかも知れません。4月25日は「鹿児島と香港」の交流記念日であるばかりでなく「日本と香港」の交流の最初かもしれません。

さて,この記念すべき日にかごしま香港クラブとして何か取り組むべきではないでしょうか?140周年を迎えた2005年は同日に役員会を開催し,全員で祝杯をあげました。今後,毎年4月25日に何らかの記念行事が開催できるよう考えて行きたいと思います。

【参考文献】上記の記述は以下の文献を参考にして記載しています。
「薩摩藩英国留学生」 犬塚孝明著 中公新書
畠山義成洋行日記
海軍中将松村淳藏洋行

留学生が香港に上陸した1865年のビクトリア市(現在の香港島セントラル地区) 出典=1988年香港市政局出版「香港歴史圖片」

留学生が香港に上陸した1865年のビクトリア市(現在の香港島セントラル地区)
出典=1988年香港市政局出版「香港歴史圖片」

1865年頃のセントラル地区ペッダー通り。

1865年頃のセントラル地区ペッダー通り。(ランドマーク横の目抜き通りです)
中央の通り沿いに留学生も見たであろうガス灯が見える。
出典=1988年香港市政局出版「香港歴史圖片」